哲学辞典

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世人

せじん

原語
das Man(ドイツ語)
語の成り立ち
不定代名詞 man(英 one/仏 on、「人は〜する」)を名詞化したもの
日本語訳
定訳はありません。「世人」「ひと」「世間」などと訳し分けられます
英語圏での扱い
the "they"(Macquarrie & Robinson 訳/Stambaugh 訳とも)
主な出典
『存在と時間』(Sein und Zeit)1927年・第27節(S.126–130)
一言でいうと

「人はふつうこうするものだ」と言うときの、その「人」。特定の誰かではなく、日常のふるまいを暗黙に決めている無名の誰かのことです。他人のことではありません——さしあたりたいてい、自分自身がそれです。

やさしい定義IN PLAIN WORDS

電車では静かにする。この場面ではこう振る舞う。この本は読んでおくべきだとされている。——誰がそう決めたのかと問われても、答えられません。特定の誰かが命じたわけではないのに、私たちはそれに従って日々を過ごしています。

ドイツ語には man という便利な代名詞があります。「man sagt(人は言う)」のように、主語をぼかして使う言葉です。ハイデガーはこれに定冠詞をつけて名詞にし、この「誰でもない誰か」を存在論の主題に据えました

ここで多くの人がつまずきます。世人とは「周りの流されやすい人たち」のことだと読んでしまうのです。しかしハイデガーの主張は逆です。その「他人たち」の一人が自分であり、しかもそう名指すことによって、自分がそこに属していることを覆い隠している——そう書かれています(S.126)。

正確な定義STRICT SENSE

第27節は、その前の節が投げた問い——日常的な相互存在としての存在を引き受けているのは、いったい誰なのか(S.125)——を受けて始まります。答えは、意表を突くものです。

„Das »Wer« ist das Neutrum, das Man."

その「誰」とは、中性的なもの、すなわち世人である。

『存在と時間』第27節(原著 S.126)

そして日常の現存在の自己は、本来的な自己と区別して世人自己das Man-selbst)と呼ばれます。「さしあたり現存在は世人であり、たいていはそのままである」(S.129)。

決定的なのは、世人が単なる経験的な集団ではなく実存範疇だという規定です。

„Das Man ist ein Existenzial und gehört als ursprüngliches Phänomen zur positiven Verfassung des Daseins."

世人は一つの実存範疇であり、根源的な現象として現存在の積極的な機構に属している

『存在と時間』第27節(原著 S.129)

ハイデガーは念を押しています。世人は「一般的な主観」のようなものではなく(S.128)、そのつどの現存在の「類」でもありません(S.128–129)。

世人の性格CHARACTERISTICS

第27節では、世人の在り方が順に取り出されます。

原語日本語(一例)内容
Abständigkeit隔たり性他者との差を気にし、絶えず距離を測ってしまうことS.126
Durchschnittlichkeit平均性「ふつうはこうだ」という平均に照らしてふるまうことS.127
Einebnung平均化・均等化抜きん出たもの・例外的なものを均してしまうことS.127

ここで原文の構造に注意が要ります。この三つは並列の性格ではなく、あわせて「公共性」(Öffentlichkeit)を構成するものとして述べられています(S.127)。さらに世人は現存在存在の負担を軽減しSeinsentlastung)、そうすることで現存在に迎合してくる(Entgegenkommen)とされます(S.127)。決めなくてよい、責任を負わなくてよい——その居心地のよさが、世人の力の源です。

この節でもっとも有名な一文が、その帰結を言い当てています。

„Jeder ist der Andere und Keiner er selbst."

各人は他者であり、誰も自己自身ではない。

『存在と時間』第27節(原著 S.128)

本来性は「世人からの脱却」ではないNOT AN ESCAPE

この項目でもっとも誤解されている点です。世人から抜け出して、本当の自分を取り戻す——そういう物語として読まれがちですが、原文はそれを明確に否定しています。

„Das eigentliche Selbstsein beruht nicht auf einem vom Man abgelösten Ausnahmezustand des Subjekts, sondern ist eine existenzielle Modifikation des Man als eines wesenhaften Existenzials."

本来的な自己存在は、世人から切り離された主観の例外状態にもとづくのではなく、本質的な実存範疇としての世人の、実存的な変様である。

『存在と時間』第27節(原著 S.130)

本来性とは、世人の外に出ることではなく、世人という在り方そのものの姿を変えることだというわけです。世人は取り除ける汚れではなく、現存在の機構に属しています。

道徳的な非難ではないNOT A MORAL VERDICT

「世人=堕落した大衆」「非本来性=悪」という読み方は、通俗的に広まっていますが、ハイデガー自身が繰り返し否定しています。

„… daß die Interpretation eine rein ontologische Absicht hat und von einer moralisierenden Kritik des alltäglichen Daseins und von »kulturphilosophischen« Aspirationen weit entfernt ist."

……この解釈は純粋に存在論的な意図をもつのであって、日常的現存在への道徳的な批判からも、「文化哲学的」な野心からも遠く隔たっている

『存在と時間』第34節末(原著 S.167)

同じ趣旨は他にもあります。「現存在の非本来性は、より『少ない』存在や、より『低い』存在度を意味するのでは決してない」(S.43)。頽落という語は「否定的な評価を表現するものではない」(S.175)。そして「自己自身でないことは、積極的な可能性として機能する」(S.176)。世人の在り方は「現存在の事実性の低下を意味しない」(S.128)。

※ただし、第27節が「新聞」「公共交通機関」「本当の独裁」といった語彙を用いていることが、大衆社会批判としての読解を招いてきたのは事実です。
また、ハイデガーが「本来的であれ」という規範を立てているのかどうかは、研究者のあいだで論争が続いています(頽落を積極的な構成契機と読む立場と、本来性から絶えず引き離す傾向と読む立場があります)。本項ではどちらとも断定しません。

よくある誤解・混同しやすい語COMMON CONFUSIONS

混同されがちな理解実際のところ
世人=周りの他人たち もっとも多い誤解です。ハイデガーは、人が「他者たち」と呼ぶのは自分がそこに本質的に属していることを覆い隠すためだと述べ、「自分自身が他者たちに属し、その力を強固にしている」と続けます(S.126)。他人事として名指した時点で、すでに世人の働きが作動しています。
世人=大衆・社会 世人は「一般的な主観」でも、現存在の「類」でも、人々の総和でもありません(S.128–129)。実存範疇であり、経験的な集団の話ではありません。社会学的な大衆社会論とは水準が違います。
非本来性=道徳的な堕落 原典が明示的に否定しています(S.43/S.167/S.175/S.176)。存在論的な記述であって、価値判断ではありません。
世人から脱却せよという教え 本来性は世人からの離脱ではなく、世人の実存的な変様です(S.130)。なお、そこに規範的な要求が含まれるかどうかは解釈が分かれます

出典SOURCE

主要典拠
マルティン・ハイデガー『存在と時間』(Sein und Zeit1927年
第27節「日常的な自己存在と世人」(S.126–130)。第一篇第四章「共同存在および自己存在としての世界内存在——『世人』」に属します。
前後の文脈
第25節(S.114〜)が「現存在の誰か」を問い、第26節(S.117–125)が共同存在と顧慮を扱い、その末尾の問いを第27節が受けます。
関連節
非本来性が価値判断でない旨=第9節(S.43)/第34節末(S.167)/第38節(S.175–176)
初出媒体
フッサール編『哲学および現象学研究年報』第8巻。同時に Max Niemeyer Verlag より単行本として刊行。公刊されたのは「前半」のみで未完です。

日本語で読める版

※この語は訳者によって「世人」「ひと」「世間」などに訳し分けられ、定訳と呼べるものがありません。どの訳語がどの訳者のものかは二次情報のあいだで記述が食い違うため、本項では断定しません。読んでいる本の凡例で確認してください。

関連語RELATED TERMS

この言葉を学べる本

世人は「わかった気になりやすい」語です。原典の言い回しに触れておくと、通俗的な読みに引きずられずに済みます。