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目標が無い人生から脱する方法——20世紀最大の哲学者ハイデガー
結論: 目標がないのは、あなたの欠陥ではありません。ハイデガーの『存在と時間』(1927)に沿って言えば、それは「みんなの目標」のどれにも心が動かなくなったという、むしろ正確な感覚です。必要なのは目標の探し方ではなく、目標というものの見方を変えること。この記事はその道筋を、原典の分析に沿って案内します。
「目標がない」の現在地
目標を持て、と言われ続けてきたはずです。進路指導で、就職活動で、面接で、自己啓発書で。それでも見つからない。周りは目標に向かって進んでいるように見える。SNSを開けば、資格を取った、転職した、起業した、という報告が流れてくる。焦りだけが積もって、検索窓に「人生 目標 ない」と打ち込む——。
このページに着いたあなたに最初に伝えるべきことは、こうです。その状態は、治すべき病気ではない。むしろ、ある重要なことに気づきかけているサインです。100年前にそれを徹底的に考え抜いた哲学者がいます。
なぜハイデガーに訊くのか
マルティン・ハイデガー(1889–1976)。人口二千人の小さな村で、教会の使用人と木桶職人を兼ねる父のもとに生まれ、そこから「20世紀最大の哲学者」と呼ばれるまでになった人物です。現象学の創始者である天才フッサールが、その才能に惚れ込んだ。1927年に世に出た主著『存在と時間』は電撃的な成功を収め、20世紀哲学の地図を塗り替えたと言われます。全集は102巻。サルトルの実存主義をはじめ、後世への影響は計り知れません。
重要なのは、ハイデガーが「目標達成」や「自己実現」を説く成功者ではないことです。彼が問うたのは、人間が存在するとはそもそもどういうことか——それだけです。だから彼の分析は、「どんな目標を立てるべきか」という問いの手前にある、「なぜ私たちは目標がないと不安になるのか」という地点まで降りていきます。悩みの根に届くのは、こちらの深さです。
診断——その目標は、誰の目標だったのか
まず、あなたが「持てない」でいる目標を思い浮かべてください。安定した職。名の知れた会社。資格。年収。結婚。持ち家。フォロワー数。——では、その目標リストは誰が書いたのでしょうか。
『存在と時間』の中でハイデガーは、日常の私たちが「世人(ダス・マン)」として生きている、と分析しました。世人とは特定の誰かではありません。「みんなはそう思っている」「ふつうはそうする」と言うときの、あの「みんな」「ふつう」の主語のことです。誰でもあって、誰でもない。ハイデガーの分析によれば、世人は三つの仕方で私たちの日常を支配しています。
- 距離性——他人との差を気にし、追い越したか遅れたかを測り続ける
- 平均性——突出したものを嫌い、「ほどほど」に安住させる
- 平準化——例外的なもの、独自なものを均して、ならしてしまう
そして世人の支配には、抗いがたい報酬があります。責任の免除です。「みんなそうしているから」で選んでいる限り、自分で決断しなくていい。失敗しても、自分のせいではない。SNSはこの構造をかつてなく増幅した装置だと言えるでしょう。他人との距離を常時可視化し(距離性)、「ふつう」のモデルケースを無限に供給する(平均性)のですから。
ここまで来ると、診断が出せます。あなたに「目標がない」のではありません。世人の目標リストのどれにも、もう心が動かなくなったのです。それは感度の故障ではなく、既製品の目標が自分の生に合っていないことに気づき始めた、ということです。欠陥どころか、ハイデガーの用語で言う「本来的」な生への入口に立っている状態です。
※世人の分析(『存在と時間』第一部第四章)の原典読解は、姉妹アーカイブ〈わかりやすい「存在と時間」〉でも扱っていきます。
転換——目標は「探す」ものではなく「現れる」もの
では、どうすればいいのか。ハイデガーの答えは「もっと良い目標の探し方」ではありません。方向がまったく逆です。
『存在と時間』の分析の核心に、各自性という考えがあります。私の生は、ほかの誰にも代わってもらえない——ただそれだけのことですが、日常の私たちはこれを忘れて世人の中に紛れています。そして、この「代理不可能性」がもっとも隠しようもなく現れる場面を、ハイデガーは一つだけ挙げます。死です。どれほど「みんな」に紛れても、死ぬのは私であり、誰も代わってくれません。
ハイデガーは、死から目を逸らして「まだ先の話だ」と流すのではなく、自分の生が有限であることを先回りして引き受ける生き方に、世人の支配が解ける瞬間を見ました。有限だと本気で引き受けたとき、「みんなの目標」は急速に力を失います。そして後に残るのは、私がやらなければ、私の生涯には二度と現れない事柄だけです。
目標は、探して見つかるものではなく、この「残ったもの」から現れる——これがハイデガーから引き出せる転換です。目標が無い人生から脱する方法は、目標を手に入れることではなく、世人の物差しを一度手放すことでした。
※この「実存思想としてのハイデガー」という読み筋は竹田青嗣『ハイデガー入門』が正面から採るものです。現存在という基礎概念はアーカイブのコラム〈現存在の謎〉で無料で予習できます。
今日からの3つの実践
1. 目標の出どころを問う
持つべきだと感じている目標を紙に書き出し、一つずつ「これは誰の目標か」と問うてください。世人由来のもの——「ふつうそうするから」「遅れたくないから」で書いたもの——に印をつけて消していく。消えずに残ったものがあれば、それが手がかりです。全部消えても構いません。それはリストが空だったのではなく、リストごと借り物だったという発見です。
2. 「あと10年なら」と問う
寿命の統計の話ではありません。自分の生が有限であることを、具体的な長さで一度引き受けてみるための問いです。あと10年なら、続けることは何か。先に決まるのは、たいてい「やめること」です。それが正常です。世人の目標は、無限の時間を前提にしないと維持できないものが多いからです。
3. 平均から半歩ずれる選択を、今週ひとつ
世人の支配は、大きな決断ではなく日常の小さな選択の総和でできています。だから抵抗も小さく始められます。読みたい本を「役に立つか」で選ばずに一冊選ぶ。気の進まない集まりをひとつ断る。その半歩の違和感——「みんな」から外れる感触——が、各自性の最初の手応えです。
目標ではなく、星を持つ
それでも「大きな目標」のようなものが欲しくなったら、ハイデガー自身の生き方が参考になります。彼の墓碑には、十字架ではなく星の印が付けられています。生前の著作に「星の方に向かっていくこと、ただそれのみ」と書いていたからです。
目標(ゴール)は達成された瞬間に終わり、また次の空白が始まります。星は違います。届くことはありませんが、どの夜にも方向を与え続けます。ハイデガー自身、小村の職人の家から出発して、86歳で世を去るまで「存在への問い」というただ一つの方向を歩き続けました。葬儀では、彼が愛したヘルダーリンの詩が五篇、息子によって朗読されたと伝えられています。
目標が無い人生から脱する方法とは、結局のところ、目標という既製品の代わりに自分の星を見つけることです。そのための最短の道は、ハイデガー自身を読むことだと当編集室は考えます。
この問いを深める本
『存在と時間』は最難関の哲学書ですが、挫折しない順番があります。詳しくは読む順番ロードマップへ。ここでは本記事のテーマに沿う4冊だけ挙げます。価格・在庫はAmazonの商品ページでご確認ください。
まず1時間で全体像——まんが版
世人・死への存在という本記事の核心を、ストーリーで一気に先取りできます。書評はこちら。
見取り図と、生き方としての読解——入門書2冊
木田元『ハイデガーの思想』は思想全体の地図。竹田青嗣『ハイデガー入門』は、本記事と同じく「人間はいかに生きうるか」の書として『存在と時間』を読み抜きます。目標の問いを深めたい人には竹田本が直撃です。
そして原典へ
世人も、死への先駆も、あなた自身の目で原文にあたるのが最終目的地です。訳は複数ありますが、まずはちくま学芸文庫版から。