哲学辞典

哲学の言葉を、出典までさかのぼって引く

現存在

げんそんざい

原語
Dasein(ドイツ語・中性名詞)
語構成
da(そこに)+ sein(ある・である)=「そこに-あること」
英語圏での扱い
訳さず Dasein のまま用いるのが標準
主要な使い手
マルティン・ハイデガー
主な出典
『存在と時間』(Sein und Zeit)1927年
一言でいうと

自分が「ある」ということ自体を問題にしてしまう、そういう在り方をしている存在者のこと。ハイデガーは、人間をこの在り方の側から捉え直すためにこの語を使いました。

やさしい定義IN PLAIN WORDS

机や石は、ただ「ある」だけです。自分が存在していることに悩んだりしません。ところが人は、ふとした拍子に「自分は何のためにいるのか」「このままでいいのか」と、自分の存在そのものを気にかけてしまう。この「自分の存在が自分にとって問題になる」という在り方をする存在者を、ハイデガーは現存在と呼びました。

ポイントは、これが「人間」という生き物の説明ではなく、在り方の説明だということです。「人間とは理性的動物である」といった定義は、人間を他のモノと同じように外から眺めて分類しています。ハイデガーはその手前に戻って、「そもそも自分の存在を気にかけてしまう者がいる」という事実から出発しようとしました。

正確な定義STRICT SENSE

『存在と時間』第4節で、現存在は次のように規定されます。

„Das Dasein ist ein Seiendes, das nicht nur unter anderem Seienden vorkommt. Es ist vielmehr dadurch ontisch ausgezeichnet, daß es diesem Seienden in seinem Sein um dieses Sein selbst geht."

現存在とは、他の存在者のあいだにただ現れるだけの存在者ではない。むしろ、この存在者にとってその存在においてこの存在そのものが問題である、という点で存在的に際立っている。

『存在と時間』第4節(原著 S.12)

さらに第9節では「現存在の『本質』はその実存にある」(Das »Wesen« des Daseins liegt in seiner Existenz, S.42)と述べられます。あらかじめ中身の決まった本質があって、それが後から存在するのではない。現存在は、そのつど可能性へと自分を関わらせながら在るのであって、その在り方こそが本質だ、という主張です。

あわせて重要なのが各私性Jemeinigkeit)です。現存在の存在は「そのつど私のもの」であり、誰にとってでもある一般的な存在ではありません。だから現存在は、標本のように三人称で観察して済ませられる対象ではないことになります。

出典SOURCE

主要典拠
マルティン・ハイデガー『存在と時間』(Sein und Zeit1927年
初出媒体
フッサール編『哲学および現象学研究年報』(Jahrbuch für Philosophie und phänomenologische Forschung)第8巻、S.1–438。同時に Max Niemeyer Verlag より単行本としても刊行。フッサールに献呈されました。
刊行の状態
公刊されたのは構想の「前半」(Erste Hälfte)のみで、未完のままです。
この語以前
Dasein は日常ドイツ語では「存在・生存」を意味する普通名詞で、哲学用語としてもハイデガー以前から使われていました。ライプニッツやヴォルフ、カント(『純粋理性批判』では様相のカテゴリーとして「現実存在」の意)、そしてヘーゲル(『大論理学』の bestimmtes Sein=定有/現存在)に用例があります。ただしこの語を人間の在り方と結びつけたのはハイデガーの独自性です。
表記について
ハイデガーは『存在と時間』刊行後、「現」の場所性を強調するために Da-sein とハイフンで綴ることを好むようになりました。

日本語で読める版

※最初の邦訳は寺島実仁訳(三笠書房・1939〜1940年)とされます。以後も複数の訳が重ねられており、訳語の選択は訳者ごとに異なります。なお「現存在」という訳語が誰によって定着したかは特定できていませんので、本項では断定を避けます。

思想の中での位置IN CONTEXT

現存在は単独で立つ概念ではなく、『存在と時間』の分析全体を支える出発点です。ハイデガーは「存在とは何か」を問うために、まず存在を問うことができてしまう当の存在者=現存在の在り方を分析する、という順序を取りました。

その根本構造が世界内存在In-der-Welt-sein)です。これは「主観がまず内側にあって、外にある客観と後から関係する」という近代的な図式を置き換えるもので、現存在ははじめから世界に関わりながら在るという一つの統一した現象として捉えられます。

そこから、選んでもいない状況にすでに投げ込まれているという被投性Geworfenheit)、それでも自らを可能性へ投げかける企投Entwurf)、「世人」(das Man)の平均的な了解に自己を委ねてしまう頽落Verfallen)、そして死へと関わる存在Sein zum Tode)といった分析が展開され、これらの統一的な意味が関心・気遣いSorge)として示されます。

よくある誤解・混同しやすい語COMMON CONFUSIONS

混同されがちな理解実際のところ
現存在=人間 ハイデガーは「人間」(Mensch)という語を意図的に避けました。人間学的・生物学的な規定や、「主観」「意識」「理性的動物」といった伝統的な先入見から距離を取るためです。現存在は、存在了解をもつ存在者をその在り方の側から捉える語です。
ただし、現存在が事実上は人間を指すのか、人間に還元されない構造なのかは研究者の間でも議論が分かれます
現存在=実存 現存在は存在者、実存(Existenz)はその存在様式です。「現存在の本質は実存にある」という命題は、両者が同じものだという意味ではありません。
ハイデガー=実存主義 ハイデガーは『ヒューマニズムについて(書簡)』(1946年執筆・1947年刊)で、サルトルの「実存は本質に先立つ」を形而上学的命題の逆転にすぎず、逆転された形而上学的命題はなお形而上学的命題であるとして退け、実存主義者と見なされることを拒みました。
この拒否がどこまで戦後の政治的な自己弁明を含むかについては、評価が分かれます。
Dasein=being-there 英語圏では訳さず Dasein のまま用いるのが標準です(Macquarrie & Robinson 訳・Stambaugh 訳とも独語のまま)。"being-there" は語の成り立ちを示す説明的な言い換えであって、定訳ではありません。

関連語RELATED TERMS

※「存在論的差異」という表現は『存在と時間』本文には現れず、1927年夏学期講義『現象学の根本諸問題』で初めて用いられました(事柄としては前提されています)。

この言葉を学べる本

現存在は、いきなり原典に当たると挫折しやすい概念です。読む順番から選べる本棚を用意しています。