哲学辞典

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実存

じつぞん

原語
Existenz(ドイツ語)
語構成(ラテン語源)
ex-(外へ)+ sistere(立たせる)
区別すべき語
existentia(現実存在)=ハイデガーでは事物的存在者の側の語
主要な使い手
マルティン・ハイデガー(キルケゴール、ヤスパース、サルトルらにも独自の用法)
主な出典
『存在と時間』(Sein und Zeit)1927年・第4節(S.12)、第9節(S.42)
一言でいうと

あらかじめ決まった中身があって、それが後から「ある」のではなく、そのつど自分がどう在るかへ関わっていくこと自体が本質であるような在り方。ハイデガーはこれを現存在にだけ認めます。

やさしい定義IN PLAIN WORDS

ハサミには「紙を切るためのもの」という中身が先にあります。作られた時点で何であるかが決まっていて、その決まった中身が現に「ある」。伝統的な哲学は、この「何であるか(本質)」と「現にあること(現実存在)」を分けて考えてきました。

ところが人間は、その順序で捉えられません。生まれた時点で「あなたはこういう人です」と中身が決まっているわけではない。これからどう在るかへ関わり続けることが、そのまま自分の中身になっていく。この在り方が実存です。

だから実存とは「存在すること」一般ではありません。石も机も存在していますが、実存してはいない——ハイデガーの用語法では、そうなります。

正確な定義STRICT SENSE

第4節に、最初の規定があります。

„Das Sein selbst, zu dem das Dasein sich so oder so verhalten kann und immer irgendwie verhält, nennen wir Existenz."

現存在がそれに対してこのようにもあのようにも関わることができ、つねに何らかの仕方で関わっている当の存在そのものを、われわれは実存と名づける。

『存在と時間』第4節(原著 S.12)

そして第9節で、有名な命題が置かれます。

„Das »Wesen« des Daseins liegt in seiner Existenz."

現存在の「本質」は、その実存のうちにある。

『存在と時間』第9節(原著 S.42)

ここで「本質」が引用符つきで書かれていることが要点です。伝統的な意味での本質——あらかじめ与えられた中身——ではないからこそ、括弧に入れられています。同じ箇所には「この存在者の『本質』は、そのあるべきことZu-sein)にある」ともあります。

※ハイデガーは後年『ヒューマニズムについて(書簡)』のなかで、この一文が原著では隔字体(強調)で組まれていると自ら注意を促しています。

実存と existentia の峻別THE KEY DISTINCTION

この項目でもっとも重要な区別です。第9節でハイデガーは、伝統的な用語法との関係を明示的に整理します。

„existentia besagt ontologisch soviel wie Vorhandensein … Eine Verwirrung wird dadurch vermieden, daß wir für den Titel existentia immer den interpretierenden Ausdruck Vorhandenheit gebrauchen und Existenz als Seinsbestimmung allein dem Dasein zuweisen."

existentia は存在論的には事物的存在を意味する……混乱を避けるため、われわれは existentia にあたるものには常に事物的存在性という解釈的な表現を用い、実存は存在規定としてもっぱら現存在にのみ割り当てる

『存在と時間』第9節(原著 S.42)

つまり、伝統的な「本質/現実存在」(essentia / existentia)の対のうち、現実存在の側は事物の在り方の名前になり、実存という語は現存在のためだけに取っておかれます。同じ語幹をもつ二つの語が、まったく別のものを指すことになるわけです。

第9節の少し後では、この区別が存在性格の二分として定式化されます。実存性から規定される現存在の存在性格を実存範疇Existenzialien)と呼び、現存在的でない存在者の存在規定であるカテゴリーKategorien)と鋭く分けなければならない(S.44)。存在者は「誰か(実存)」であるか「何か(広い意味での事物的存在性)」であるかのどちらかだ、というのです(S.45)。

実存的と実存論的EXISTENZIELL / EXISTENZIAL

混同されやすい一対です。どちらも第4節で、同じ段落のうちに導入されます。

原語日本語水準
existenziell実存的そのつどの現存在自身が、自分の生を生きるなかで自分を了解する存在的な水準。実存の問いは「実存すること自体によってのみ片づけられる」
existenzial実存論的その了解を成り立たせている構造連関(実存性)を取り出す存在論的な分析の水準

ただし、これを単純な上下関係として読むと誤ります。ハイデガーは続けて、実存論的な分析のほうもまた、最終的には実存的に、すなわち存在的に根ざしていると述べています(S.13)。理論が生の外側に立つわけではないのです。

綴りに注意。ドイツ語原典では existenzial / existenziellz で綴られます。英語文献で見かける existential / existentiell という t の綴りは、英訳者が導入した表記です。

語源と前史ORIGINS

ラテン語の ex-sistereex-(外へ)と sistere(立たせる)から成ります。「外に立つ」という語構成の説明はここから来ています。

※ただし古典ラテン語の exsisto の第一義は「歩み出る、現れ出る、生じる」であって、「外に立つ」という含みを前面に出すのは実存哲学以後の強調です。語構成としては妥当ですが、古典語義そのものではない点に注意してください。
また名詞 existentia は古典ラテン語の語彙ではなく、後期ラテン語からスコラ哲学にかけての造語です。誰が最初に用いたかについては諸説あり、本項では断定しません。「本質/現実存在」という定型の対が標準化するのも、後期スコラ以降です。

キルケゴールとの関係

『存在と時間』は三箇所の脚注でキルケゴールに言及します。評価は一貫しています。

„Im 19. Jahrhundert hat S. Kierkegaard das Existenzproblem als existenzielles ausdrücklich ergriffen und eindringlich durchdacht. Die existenziale Problematik ist ihm aber so fremd, daß er in ontologischer Hinsicht ganz unter der Botmäßigkeit Hegels … steht."

十九世紀において、キルケゴールは実存の問題を実存的なものとして明示的に捉え、深く考え抜いた。しかし実存論的な問題設定は彼には縁遠く、存在論的に見れば彼はまったくヘーゲルの支配下にある。

『存在と時間』(原著 S.235 脚注)

「実存的には深いが、実存論的には不十分」——これがハイデガーのキルケゴール評価です。不安の分析(S.190 脚注)でも「もっとも遠くまで進んだ」と認めつつ、同様の留保が置かれます。ヤスパースについても、限界状況による死の把握などが脚注で言及されます(S.249、S.301)。

※なお「実存哲学」(Existenzphilosophie)という語自体は、『存在と時間』の本文には現れません。

サルトルとの関係AGAINST EXISTENTIALISM

「実存は本質に先立つ」という定式は、サルトルが1945年10月29日の講演「実存主義とはヒューマニズムである」で示し、1946年に書籍として刊行されて広まりました。

ハイデガーは『ヒューマニズムについて(書簡)』(1946年執筆・1947年刊)で、これを正面から退けます。

„Sartre kehrt diesen Satz um. Aber die Umkehrung eines metaphysischen Satzes bleibt ein metaphysischer Satz."

サルトルはこの命題を逆転させる。しかし形而上学的命題の逆転は、なお形而上学的命題である

『ヒューマニズムについて(書簡)』

同書はさらに踏み込み、実存主義の主要命題は「『存在と時間』のあの命題とはいささかも共通するところがない」と断じます。本質と現実存在の順序を入れ替えても、その二項の枠組み自体は温存されている——それでは形而上学の外に出たことにならない、というのがハイデガーの診断です。

※『存在と無』(1943年)の段階で同趣旨の定式が既にあったかどうかは、二次情報のあいだで記述が分かれます。本項ではスローガンとしての初出を1945年の講演とだけ記します。

よくある誤解・混同しやすい語COMMON CONFUSIONS

混同されがちな理解実際のところ
実存=存在すること一般 ハイデガーの用語法では、実存は現存在にのみ割り当てられます(S.42)。事物の側は事物的存在性です。存在者は「誰か(実存)」か「何か(事物的存在性)」のどちらかとされます(S.45)。
実存=実存主義 ハイデガーは実存主義者と見なされることを拒みました。『ヒューマニズムについて』は、実存主義の主要命題が『存在と時間』の命題と「いささかも共通するところがない」と述べています。『存在と時間』の本文には「実存主義」「実存哲学」という語は現れません。
実存的=実存論的 別水準です。実存はそのつどの現存在自身による存在的な自己了解、実存論的はその構造を取り出す存在論的分析(S.12–13)。ただし後者もまた実存的に根ざす、という但し書きを落とすと今度は逆向きに誤ります(S.13)。
実存=主体性・その人らしい生き方 通俗的にはそう流通していますが、原典の規定は「あらかじめ手元にある性質ではなく、そのつどその存在者に可能な在り方」です(S.42)。「本質」が引用符に入れられているのは、本質/現実存在という伝統的枠組みそのものを外すためであって、その枠内で「中身より生き方が大事だ」と言い換えるのは、まさに『ヒューマニズムについて』が退けた読みにあたります。

出典SOURCE

主要典拠
マルティン・ハイデガー『存在と時間』(Sein und Zeit1927年
第4節(S.12)で規定され、第9節(S.42)で「現存在の『本質』はその実存にある」と定式化されます。
関連節
実存的/実存論的の区別=第4節(S.12–13)/実存範疇とカテゴリーの区別=第9節(S.44–45)
関連文献
『ヒューマニズムについて(書簡)』1946年執筆・1947年刊(サルトル批判)/キルケゴール評価は『存在と時間』S.190・S.235・S.338 の各脚注
初出媒体
フッサール編『哲学および現象学研究年報』第8巻。同時に Max Niemeyer Verlag より単行本として刊行。公刊されたのは「前半」のみで未完です。

日本語で読める版

※「実存」は「現実存在」の略とする説明が広く流通しています。また九鬼周造がこの訳語を定着させたとする説もありますが、主要な辞典類の「実存」項には裏付けとなる記述が確認できませんでした。本項では断定しません。

関連語RELATED TERMS

この言葉を学べる本

「実存」は日常語としても流通しているぶん、原典の用語法との落差が大きい語です。順番に読むのが近道です。