哲学辞典

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事物的存在者

じぶつてきそんざいしゃ

原語
Vorhandenes(ドイツ語)/存在様式としては Vorhandenheit(事物的存在
語構成
vor(手前に)+ HandenHand の複数与格)。日常語 vorhanden は「手に取れる、存在している」
英語圏での扱い
presence-at-hand(Macquarrie & Robinson 訳)/objective presence(Stambaugh 訳)
対になる語
Zuhandenheit(道具的存在性・手許存在性)
主な出典
『存在と時間』(Sein und Zeit)1927年・第15〜16節、第9節
一言でいうと

道具として使われる文脈から切り離され、ただ「目の前にある」ものとして捉えられた存在者のこと。物質的な物という意味ではありません。心も価値も、この捉え方をされれば事物的存在者になります。

まず「者」と「性」の区別TWO WORD FORMS

原語日本語指すもの
Vorhandenes事物的存在その仕方で存在している存在者そのもの
Vorhandenheit事物的存在その存在様式(=どういう在り方か)

第9節で、ハイデガーはこの語を伝統的な用語と結びつけて位置づけます。スコラ哲学以来の existentia(現実存在)は、存在論的には Vorhandensein を意味する。そこで混乱を避けるため、existentia にあたるものには常に Vorhandenheit という語を用い、Existenz(実存)は現存在にだけ割り当てる——そう宣言されます(S.42)。

つまり事物的存在性は、現存在には決して当てはまらない存在様式です(S.115)。人間の在り方を事物的存在性で捉えてしまうことこそ、ハイデガーが解体しようとした伝統の誤りでした。

やさしい定義IN PLAIN WORDS

ハンマーを使って釘を打っているとき、ハンマーは「重さ何グラムの金属の塊」としては現れていません。手に馴染み、打つという作業のなかに溶け込んでいます。この在り方が道具的存在性Zuhandenheit)です。

ところが、そのハンマーの柄が折れる。すると急に、手の中の物体が「そこにある妙な形の木と鉄」として浮かび上がってくる。作業から切り離され、ただ眼前に転がっているものとして目に入る。この現れ方が事物的存在性です。

大事なのは、これが「物」というカテゴリーの話ではないことです。同じハンマーが、扱われ方によって道具的にも事物的にも現れます。逆に、人間の心や、社会の価値さえも、「そこに在るもの」として観察の対象にされれば事物的存在者として捉えられてしまいます。

正確な定義STRICT SENSE

第15節でハイデガーは、まず対になる語のほうを定義します。

„Die Seinsart von Zeug, in der es sich von ihm selbst her offenbart, nennen wir die Zuhandenheit."

道具が自分自身の側から自らを開示する、その存在様式を、われわれは道具的存在性と名づける。

『存在と時間』第15節(原著 S.69)

事物的存在性のほうには、これに対応する一文の定義がありません。つねに道具的存在性との対比で規定されるのが特徴です。もっとも整理された形は第18節にあり、そこでは二つが並べて示されます——(1) さしあたり出会われる世界内部的存在者の存在(道具的存在性)、(2) さしあたり出会われる存在者を自立的に発見しながら通り抜けていくなかで見出され、規定されうるようになる存在者の存在(事物的存在性)(S.88)。

そして両者はともにカテゴリーKategorie)であって、現存在の在り方を語る実存範疇ではありません(S.88)。

どちらが根源的かWHICH COMES FIRST

ハイデガーの主張は、近代的な常識の逆を行きます。冷静に観察された「客観的な物」が世界の基本にあって、そこに用途が後から加わるのではない。まず使い慣れた道具として出会っていて、事物的存在者はそこから派生的に現れる——これが彼の順序です。

„Das schärfste Nur-noch-hinsehen auf das so und so beschaffene »Aussehen« von Dingen vermag Zuhandenes nicht zu entdecken."

事物のこれこれの「外観」をどれほど鋭くただ眺めたところで、道具的存在者を発見することはできない。

『存在と時間』第15節(原著 S.69)

認識は、配慮的に気遣われている手許のものを経由してはじめて、単に事物的に存在するものの露呈へと進む(S.71)。だからこそ道具的存在性には、純粋な事物的存在性に対する根源性が認められうる、とされます(S.72)。

※注意:第15節の末尾には「しかし道具的存在者は、事物的存在者を基礎としてのみ『ある』のではないか」という一文が出てきます。これはハイデガー自身の主張ではなく、彼が立てて退ける反対論です。切り出して引用すると意味が反転するため、本項では地の文として扱いません。

事物的存在性はいつ現れるか——三つの様態THREE MODES

第16節でハイデガーは、道具の連関が破れるときに事物的存在性が顔を出す、と分析します。三つの様態が挙げられます(S.73–74)。

原語何が起きるか
Auffälligkeit道具が使えなくなる(壊れる)ことで目立ってくるハンマーの柄が折れる
Aufdringlichkeit道具が見当たらないことで押しつけがましく迫ってくる必要な工具がどこにもない
Aufsässigkeit道具が邪魔をすることでたてついてくる作業の動線に物が転がっている

„Die Modi der Auffälligkeit, Aufdringlichkeit und Aufsässigkeit haben die Funktion, am Zuhandenen den Charakter der Vorhandenheit zum Vorschein zu bringen."

目立つこと・押しつけがましさ・たてつくことという三つの様態は、道具的存在者において事物的存在性の性格を現れ出させる働きをもつ。

『存在と時間』第16節(原著 S.74)

「壊れると単なる物になる」という単純な図式ではありません。ハイデガーは直後に、そこで告知される事物的存在性はなお道具の道具的存在性に縛られたままだと述べています(S.74)。折れたハンマーは、まだ「打つためのもの」の文脈のなかで壊れているのであって、純粋な物になりきってはいません。
なお三様態の日本語には定訳と呼べるものがなく、「目立ち/切迫性/反抗性」など複数の訳し方が流通しています。

デカルト批判との関係AGAINST DESCARTES

この概念は、ハイデガーの伝統批判の要でもあります。第一篇第三章のB節(第19〜21節、S.89–101)で、世界を res extensa(延長を持つもの)として規定したデカルトが主題的に批判されます。

„Die Idee von Sein als beständige Vorhandenheit motiviert nicht allein eine extreme Bestimmung des Seins des innerweltlich Seienden … sie verhindert zugleich, Verhaltungen des Daseins ontologisch angemessen in den Blick zu bringen."

存続的な事物的存在性としての存在の理念は、世界内部的存在者の存在を極端に規定させるだけでなく、同時に、現存在のふるまいを存在論的に適切に視野に入れることを妨げる。

『存在と時間』第21節(原著 S.98)

デカルトは、もっとも厳密とされる存在者の認識こそが、その存在者の第一次的な存在への通路でもあるという考えを固定してしまった(S.100)。そうしてまず出会われている存在者を飛び越えてしまった——というのがハイデガーの診断です。

よくある誤解・混同しやすい語COMMON CONFUSIONS

混同されがちな理解実際のところ
事物的存在者=物理的な物体 もっとも多い誤解です。これは物質かどうかの話ではなく、存在様式の話です。ハイデガーは、価値を「物のもつ事物的に存在する規定性」と見なす立場に言及し(S.99)、さらに現存在自身が暗黙のうちに事物的存在者として捉えられてしまうことを問題にします(S.114)。心も人格も価値も、この様式で捉えられうるのです。
道具的=主観的/事物的=客観的 明確な誤りです。ハイデガーは「道具的存在性こそ、存在者が『それ自体において』あるあり方の、存在論的・カテゴリー的規定である」と述べています(S.71)。さらに両者はともにカテゴリーであり、非現存在的な存在者に関わる規定です(S.88)。主観/客観という軸ではなく、同じ存在者に対する二つの存在様式とその派生関係の問題です。
実践的な関わり 対 理論的な態度 粗すぎる二項対立です。ハイデガーは「『実践的』なふるまいは、視を欠くという意味で『非理論的』なのではない」とし、理論的なふるまいのほうを「配視を欠いた、ただ眺めるだけのこと」と規定しています(S.69)。理論が盲目なのではなく、別種の視をもつという捉え方です。
事物的存在性=実存 正反対です。第9節で、existentia(=事物的存在性)と Existenz(実存)は明示的に切り分けられ、実存は現存在にだけ割り当てられます(S.42)。

訳語についてON TRANSLATION

この対語は、日本語でも英語でも訳が大きく揺れます。読んでいる本がどの訳語を採っているかを最初に確認してください。

ZuhandenheitVorhandenheit
日本語(流通例)用具的存在性/道具的存在性/手許存在性/手もとにあること/手元性事物的存在性/客体的存在/眼前存在性/目の前にあること/目の前性
英語(M&R 1962)readiness-to-handpresence-at-hand
英語(Stambaugh)handinessobjective presence

どの訳語がどの訳者のものかは、二次情報のあいだで記述が食い違うため本項では断定しません。各訳書の凡例・訳語一覧で確認してください。
なお語源上は、vorhanden が「手前に=手に取れる」に由来するのに対し、zuhanden は中高ドイツ語の「手のもとに、即座に」に由来し、系列が別です。日本語訳では対称的に見えますが、原語は綺麗な対にはなっていません。

出典SOURCE

主要典拠
マルティン・ハイデガー『存在と時間』(Sein und Zeit1927年
第15節(S.66–72)で道具的存在性との対で主題化され、第16節(S.72–76)で三様態が分析されます。
用語の位置づけ
第9節(S.42)で existentia の訳語として導入され、実存Existenz)と切り分けられます。第18節(S.88)に両者の整った規定。
デカルト批判
第19〜21節(S.89–101)。とくに第21節(S.98, S.100)が批判の帰結部です。
初出媒体
フッサール編『哲学および現象学研究年報』第8巻。同時に Max Niemeyer Verlag より単行本として刊行。公刊されたのは「前半」のみで未完です。

日本語で読める版

関連語RELATED TERMS

この言葉を学べる本

道具的存在性との対は、訳語体系ごと理解しないと混乱します。訳者の選択が見える本から入るのが近道です。