配慮的な気遣い
はいりょてきなきづかい
道具や事物に関わるときの、現存在の在り方。日本語の「気遣い」から連想される他人への優しさのことではありません。使う・調達する・片づける——そうした世界との関わり方そのものを指す用語です。
やさしい定義IN PLAIN WORDS
この語で最初につまずくのは、たいてい「気遣い」という日本語です。人に気を遣う、思いやる——そう読みたくなります。しかしハイデガーがこの語で指しているのは、まずモノとの付き合い方です。
釘を打つ。切符を買う。散らかった机を片づける。洗い物を明日に回す。そうやって私たちは、朝から晩まで何かを扱い、手配し、あるいは放っている。この「何かを扱いながら世界の内に在る」という在り方が、配慮的な気遣いです。
ハイデガーはこの語を、ドイツ語の日常語からそのまま借りてきました。ドイツ語の besorgen は「用事を済ませる」「調達する」といった、ごく普通の生活の言葉です。特別な心構えではなく、ありふれた日常のふるまいのほうが出発点になっている——それがこの用語選択の意味です。
正確な定義STRICT SENSE
『存在と時間』第12節で、ハイデガーは世界内存在の「内存在」の諸様態——何かと関わる、製作する、世話をし手入れする、使用する、放棄する、企てる、探究する、考察する……——を列挙したうえで、こう述べます。
„Diese Weisen des In-Seins haben die noch eingehend zu charakterisierende Seinsart des Besorgens."
これらの内存在の諸様態は、なお詳しく性格づけられるべき配慮的な気遣いという存在様式をもっている。
『存在と時間』第12節(原著 S.57)
そのうえでハイデガーは、この語を存在論的な術語(実存範疇)として用いると宣言します。日常語の意味から出発しつつ、それを現存在の存在の仕方を指す用語へと鋳直すわけです。そして節の末尾で、次のように結ばれます。
„Weil zu Dasein wesenhaft das In-der-Welt-sein gehört, ist sein Sein zur Welt wesenhaft Besorgen."
現存在には本質的に世界内存在が属しているがゆえに、その世界へと関わる存在は本質的に配慮的な気遣いである。
『存在と時間』第12節(原著 S.57)
気遣い・配慮的な気遣い・顧慮——三つの語THE THREE TERMS
この項目で最も重要なのが、よく似た三語の区別です。第41節でハイデガーは、現存在の存在の統一的な意味を気遣い(Sorge)と名づけます。そして第41節の議論のなかで、先行する分析がなぜ成り立っていたかを振り返ります。
| 原語 | 日本語(一例) | 何に関わるか | 主な箇所 |
|---|---|---|---|
| Sorge | 気遣い/関心 | 関わり方の別ではなく、現存在の存在そのものの統一的な意味 | §41(S.192) |
| Besorgen | 配慮的な気遣い/配慮 | 道具的に出会われる事物への関わり | §12(S.56–57) |
| Fürsorge | 顧慮/顧慮的な気遣い | 他者(共現存在)への関わり | §26(S.121) |
他者がなぜ配慮的な気遣いの対象にならないのかは、第26節が明示しています。
„Dieses Seiende wird nicht besorgt, sondern steht in der Fürsorge."
この存在者〔=他者〕は配慮的に気遣われるのではなく、顧慮のうちに立っている。
『存在と時間』第26節(原著 S.121)
※三者の関係を「上位の類とその下位の種」という分類図として描くのは踏み込みすぎです。第41節には「気遣いは常に、たとえ欠如的にであれ、配慮的な気遣いであり顧慮である」(S.194)とあり、二つは並列の区分というより同じ気遣いという構造の二つの方向と読むほうが原文に忠実です。ハイデガー自身「配慮的に気遣う顧慮」という複合表現も用いています。
なお「自己への気遣い」という第四項を立てるのは誤りです。ハイデガーはそれを同語反復だとしています(S.193)。
「していない」ことも含まれるDEFICIENT MODES
見落とされやすい重要点です。ハイデガーは配慮的な気遣いの様態に、欠如的な様態——怠る、し損なう、断念する、休息する——も数え入れると明言しています(S.57)。
洗い物を放置しているときも、仕事を休んでいるときも、あなたは配慮的な気遣いの外に出ているわけではありません。関わらないという仕方で、なお関わっている。だからこの語は「よく気を配っている状態」を褒める言葉ではなく、日常の在り方をまるごと言い当てるための用語なのです。
よくある誤解・混同しやすい語COMMON CONFUSIONS
| 混同されがちな理解 | 実際のところ |
|---|---|
| 他者への思いやり・優しさ | もっとも多い誤解です。配慮的な気遣いの相手は道具的に出会われる事物であり、他者は対象外です(S.121)。 ややこしいのは、食事や衣服の「世話」や看病を、日常のドイツ語では besorgen と言うのに、術語としてはそれが顧慮(Fürsorge)に区分される点です。第26節はまさにこの例を挙げて区別しています。 |
| 心配・不安といった気分 | ハイデガーは第12節で「苦労」「憂鬱」「生活の心配」といった意味とは関係がないと明記し、第41節でも「気づかわしさ」「無頓着」のような存在的な傾向は意味から排除されるとしています(S.57/S.192)。情緒の話ではありません。 |
| 現存在の存在=配慮的な気遣い | 現存在の存在の統一的な意味は気遣い(Sorge)です。配慮的な気遣いはその一方向にすぎません(S.193)。 |
| 実践的な関わりのこと(理論の対義語) | これも原典が否定します。ハイデガーは「この語を選んだのは、現存在がさしあたり大部分は経済的・『実践的』だからではない」と断っています(S.57)。さらに「考察することは、行為が自らの視をもつのと同じく根源的に、配慮的な気遣いである」(S.69)とあり、理論的な観察もまた配慮的な気遣いの一様態です。 |
訳語についてON TRANSLATION
この三語はセットで訳語体系が変わるため、本によって見え方がかなり違います。流通している組み合わせには、たとえば次のようなものがあります。
| Sorge | Besorgen | Fürsorge | |
|---|---|---|---|
| 体系A | 関心 | 配慮 | 顧慮 |
| 体系B | 気遣い/気づかい | 配慮的な気遣い | 顧慮的な気遣い |
※本項の見出し語は体系Bを採っています。どの訳語がどの訳者のものかは、二次情報のあいだで記述が食い違うため本項では断定しません。読んでいる本の凡例で確認してください。
英語圏でも同じ問題が起きています。Macquarrie & Robinson 訳(1962年)は Besorgen を concern、Fürsorge を solicitude と訳しますが、Stambaugh 訳では Besorgen が taking care of、Fürsorge のほうが concern になります。同じ英単語 concern が別の原語に割り当てられているため、英語の解説書を読むときは訳者の確認が要ります。
出典SOURCE
- 主要典拠
- マルティン・ハイデガー『存在と時間』(Sein und Zeit)1927年
第12節(S.56–57)で内存在の諸様態の存在様式として導入され、実存範疇として術語化されます。 - 関連節
- 顧慮との対比=第26節(S.117–125、とくに S.121–122)/気遣いとの関係=第41節(S.191–196、とくに S.192–194)/理論的考察も一様態である旨=S.69
- 初出媒体
- フッサール編『哲学および現象学研究年報』第8巻。同時に Max Niemeyer Verlag より単行本として刊行。公刊されたのは「前半」のみで未完です。
日本語で読める版
- 『存在と時間』細谷貞雄 訳/ちくま学芸文庫(全2巻・1994年)
- 『存在と時間』熊野純彦 訳/岩波文庫(全4冊・2013年〜)
- 『存在と時間』中山元 訳/光文社古典新訳文庫(全8巻・2015〜2020年)
- 『存在と時間』高田珠樹 訳/作品社(2013年)
関連語RELATED TERMS
この言葉を学べる本
三つの「気遣い」の区別は、訳語体系ごと理解しないと混乱します。訳者の選択が見える本から入るのが近道です。
- 本棚ハイデガーの本棚 入門書から原典まで5冊を、挫折しない読む順番つきで紹介しています。
- 出典『存在と時間』(細谷貞雄 訳)の書評 第12節・第26節・第41節が該当箇所。訳語の凡例を確認しながら読む本。
- 入門『ハイデガー『存在と時間』入門』(轟孝夫)の書評 節を追って伴走する読解ガイド。用語の区別で迷ったときに。
- まんが『まんが!100分de名著 ハイデガー 存在と時間』の書評 造語の壁でつまずいた人向け。用語が生活の場面に埋め込まれて出てきます。
- 連載わかりやすい「存在と時間」 辞典の定義から一歩進んで、原典を順に読み解く連載。