レヴィナスの本棚 › 『全体性と無限』読解ノート › 序文②
「歴史」の彼方で存在との関係性を結ぶ「終末論」
要約
戦争の可能性が永続する現実=歴史と、それを治める技術である政治。これらは道徳や哲学を嘲笑する。
歴史を振り返ると、道徳として政治の上に置かれたことがあるものは、たった一つしかない。それは、メシア的終末論である。
唯一可能な平和は終末論しかない。終末論は、単なる「戦争の可能性の永続への反対」という、純粋な否定形式なのではない。戦争の可能性の永続である歴史のかなた、歴史の外部において、最後の審判という一個の余剰が超越を表現するものなのだ。
この余剰が『無限なもの』の概念であり、『他なるもの』である。
しかし、この超越的なかなたにあるものは、あらゆる存在の内部に映し出されてもいる。つまり、最後の審判により、あらゆる人間のあらゆる瞬間における行為が裁きの対象となる。この裁きは歴史によって正当化される裁きではなく、歴史の裁きに先立つ、より永遠な裁きである。
あらゆる瞬間に裁かれているあらゆる存在は、この無限な他者により、歴史を溢れ出していく。歴史は人間を匿名化し、言葉を剝奪するが、人間は裁きのもとで抗弁する人称的存在概念となる。つまり終末論は人間を歴史から救いだし人称性を回復させる。
解説
ハイデガーは人間のことを現存在と呼ぶ。ここでの存在という概念は、ハイデガーの哲学を念頭に置いている。