『全体性と無限』書評——〈他者〉が倫理を基礎づけ直す、前期の主著
★★★★★5.0 / 5.0(編集室評価)
結論: レヴィナスの前期を代表する主著であり、本棚の中心。世界のすべてを「私の理解」という一つの体系=全体性へ回収しようとする西洋哲学の傾向を根底から問い直し、そこに決して収まらない〈他者〉との出会いから倫理を立て直します。難解であることは隠しません。しかし、入門書・選集で足場を固めたうえで挑めば、一行ごとに確かな手応えのある、生涯読み返せる一冊です。星は5点満点。ただし「読みやすさ」ではなく「思想的達成」への評価です。
- 書名
- 全体性と無限
- 著者
- エマニュエル・レヴィナス/藤岡俊博 訳
- 出版社
- 講談社学術文庫
- 種別
- 主著(前期の代表作)
- 難易度
- 上級 ★★★ ——足場なしに挑むと挫折しやすい。準備の上で
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どんな本か——3行で
『全体性と無限』は、1961年に公刊されたレヴィナス前期の主著で、副題に「外部性についての試論」を持ちます。フッサールやハイデガーの現象学を深く踏まえながら、それらが最終的に「存在」や「私の理解」へと一切を回収してしまうことを批判し、そこに決して回収されない〈他者〉の次元を打ち立てようとする、大部の哲学書です。本書によってレヴィナスは、認識や存在ではなく倫理こそが第一哲学であるという独自の立場を確立しました。20世紀後半の思想に決定的な影響を与えた、現代哲学の古典中の古典です。
主張の要点——全体性への抵抗と〈無限〉
本書の中心には、「全体性」への抵抗があります。全体性とは、あらゆるものを一つの体系・一つの視点のもとに並べ、余りなく説明し尽くそうとする思考のこと。レヴィナスは、西洋哲学がこの全体性を志向するあまり、私に還元されない他なるもの=〈他者〉を、いつも「私が理解できる何か」へと縮減してきたと批判します。だが、他者は本来、私の把握を超えている。その、把握を超えて溢れ出る他者の次元を、レヴィナスは〈無限〉と呼びます。
この〈無限〉が具体的に立ち現れる場が、〈顔〉です。他者の顔は、私に「あなたは私を殺してはならない」と無言で命じ、私を一方的な責任のうちに引き込む。ここでレヴィナスは、倫理を「私が自由に選び取る規則」ではなく、他者の顔によって、私が選ぶより先に負わされてしまう応答責任として描きます。認識が始まる手前、私が「私」になる手前で、すでに他者への責任が私を捉えている——この逆転こそ、本書が「倫理を第一哲学とする」という主張の核心です。
他者の顔は、私の把握を超えて現れ、「殺すな」と命じる——認識に先立って、私はすでに他者に応答する責めのうちにある。(本書の中心的主張を、編集部が要約したもの)
——『全体性と無限』の骨格(編集部による大意)
読みどころ3点
1. 「全体性 対 無限」という構図の鮮やかさ
難解な細部を貫く背骨は、実はシンプルです。「一切を回収する全体性」と「回収を拒む無限(=他者)」——この対立軸さえ掴めば、膨大な議論のどこを読んでいても迷子になりません。
2. 〈顔〉をめぐる叙述の強度
他者の顔が私に責任を負わせる、というくだりの筆致は、本書の白眉です。抽象的な議論のなかに、ふいに倫理の生々しい手触りが立ち上がる瞬間があります。
3. 藤岡俊博による新訳という達成
本書は複数の邦訳がありますが、講談社学術文庫の藤岡俊博訳は、原文の緻密さを日本語で辿れるよう配慮された比較的新しい訳です。難物に挑むうえで、信頼できる道案内になります。
挫折ポイントと読み方
挫折の原因はほぼ一つ、足場なしで、頭から一字一句を理解しようと通読することです。本書の文章は、同じ主題を螺旋状に反復しながら深めていく独特の運びで進むため、一直線に「積み上がる」読み方をしようとすると、必ずどこかで失速します。おすすめは、まず「全体性 対 無限」という背骨だけを頼りに、分からない箇所は印をつけて先へ進む一読目。細部は二読目以降に回します。そして——ここが大事ですが——いきなり本書から入らないこと。当サイトが入門書(熊野純彦)・エッセイ(内田樹)・選集(レヴィナス・コレクション)を先に置くのは、〈他者〉〈顔〉〈全体性/無限〉という枠組みと、レヴィナス特有の文体への慣れさえあれば、この大著が急に一本の背骨を持って立ち上がるからです。
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