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『全体性と無限』読解ノート

〈他者〉はどこから来るのか。

レヴィナスの本棚『全体性と無限』読解ノート › 序文①

永続する「戦争の可能性」

『全体性と無限』序文(p13〜34)第1節 | 初出 2016-09-13

要約

どんな高尚な哲学を考えていても、一たび戦争が起これば、生きるために死に物狂いで戦わざるをえない。

そんなとき、どんな高尚な哲学も雲散霧消して、あなたはただ一匹の死に物狂いでもがく動物に過ぎなくなってしまう。理性を取り戻しても、強大な権力に対する恐怖から、自分で全然意図していないような非道な行為に手を染める臆病な人間に過ぎないことが明らかになるかもしれない。

戦争が始まる前、あなたには哲学、世界認識や思想があった。それこそは「全体性」の例であり、あなたの<同>である。

しかし、戦争という<他>は外部から、その全体性をぶち壊し、嘲笑する。

さらに、戦争が起こるかもしれないという可能性自体は、未来永劫永続する。それは歴史が証明している。大地震などの天災が起こる可能性についても同様である。

つまり、どんな「全体性」をあなたがもっていても、それがひっくり返され、雲散霧消する可能性は、永続するのである。この可能性の永続は「他なるもの」である。

我々は道徳に欺かれているのだろうか?

解説

この序文は「戦争反対説」であると曲解されることがあるらしいが、明らかに誤りであり、思慮が浅い解釈である。人間を神の家畜と考えているレヴィナスが平和論を唱えるとは思えない。むしろ、彼はそうした「平和」という理想論=道徳が、「戦争の永続性」という現実=政治に対し無力であることを指摘している。このあと、レヴィナスは道徳の上に終末論=宗教を置き、なぜ宗教が道徳の上にたつのかという問いを提出する。

この節を原典で読む

ここで扱われているのは『全体性と無限』の冒頭、序文にあたる部分です。原典を手元に置いて読み進めたい方は、『全体性と無限』の書評で現行版(講談社学術文庫・藤岡俊博 訳)を、はじめてレヴィナスに触れる方は熊野純彦『レヴィナス入門』の書評をご覧ください。