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イーロン・マスクとショーペンハウアーの出会い:SpaceXへ
この記事の要点: 世界一の富豪で、人類を火星へ運ぼうとする起業家イーロン・マスク。その原点には、14歳のときに読んで打ちのめされた一冊の哲学書がありました。相手は「絶望の哲学者」ショーペンハウアー。マスク自身が「14歳で読むべきではなかった」と語るその出会いから、なぜ「人類を多惑星種へ」という壮大な夢が生まれたのか。ペシミズムの哲学と、そこから抜ける道筋を、読書案内つきでたどります。
14歳の実存的危機と、一冊の哲学書
スペースX(SpaceX)とテスラを率い、人類を火星に移住させると公言するイーロン・マスク。だが少年時代の彼は、南アフリカで深刻な実存的危機に陥っていました。「人生に意味はあるのか」という問いに取り憑かれた10代の彼は、家にあった哲学書に手を伸ばします。そこにあったのが、ニーチェと——ショーペンハウアーでした。
結果は散々だったと、マスク自身が後年のインタビューで振り返っています。あの本たちは「14歳で読むべきではなかった」。答えを求めて開いた哲学が、かえって10代の心をいっそう暗い場所へ引きずり込んだ、というのです。世界一の起業家の出発点に、この「哲学書に打ちのめされた少年」がいた——まずこの事実から始めましょう。(このエピソードはマスク本人がCBSやインタビュー等で繰り返し語っており、複数の評伝にも記録されています。)
マスクが読んだ「絶望の哲学」とは何か
では、14歳の少年をそこまで沈ませた哲学とは、どんなものだったのでしょうか。アルトゥル・ショーペンハウアー(1788–1860)は、主著『意志と表象としての世界』(1819年)で、世界をこう描きました——この世界の根っこにあるのは、理性でも神でもなく、目的も理由もなく「ただ生きようとする」盲目の衝動(意志)である、と。
私たちが何かを欲しがり、手に入れ、また次の何かを欲しがるのは、この意志が私たちを突き動かしているからだ、と彼は言います。そしてここに、ショーペンハウアーの有名なペシミズム(悲観論)が生まれます。欲望が満たされない間は苦痛、満たされれば退屈——人生は苦痛と退屈のあいだを揺れる振り子のようなものだ、と。幸福とは苦痛が一時的に消えた状態にすぎず、生そのものが構造的に満たされないようにできている。理由もなく生きようとする意志だけが空回りしている——14歳の少年がこれを独りで読めば、打ちのめされるのも無理はありません。
マスクが感じた重さは、誤読ではありません。ショーペンハウアーは実際に、生の苦しみをごまかさずに見つめた哲学者でした。だからこそ彼は「絶望の哲学者」と呼ばれます。しかし——物語はここで終わりません。
絶望から火星へ——マスクを救った転回
哲学に沈められた少年マスクを引き上げたのは、意外な一冊でした。ダグラス・アダムスのSFコメディ『銀河ヒッチハイク・ガイド』です。この小説は、スーパーコンピュータが「生命、宇宙、そして万物についての究極の答え」を弾き出す——その答えが「42」だった、という人を食った物語です。
ここでマスクが受け取ったのは、こういう教訓でした。「多くの場合、答えよりも問いのほうが難しい。正しく問いを立てられれば、答えを出すのは易しい」。つまり、「人生の意味は何か」といきなり究極の答えを求めるから行き詰まる。まずすべきは、私たちが良い問いを立てられるように、意識と知の範囲そのものを広げることだ——マスクはそう解釈したと語っています。
この「意識の範囲を広げる」という発想が、後の彼の使命に直結します。人類が一つの惑星にとどまっていれば、隕石衝突ひとつで問いを立てる存在ごと消えかねない。ならば人類を複数の惑星に広げ、意識の光を長く灯し続けよう——SpaceXが掲げる「多惑星種化」という目標は、この10代の読書遍歴の延長線上にあります。ショーペンハウアーの絶望をくぐり、アダムスの問いで向きを変え、火星を目指す。マスクの原点には、たしかに哲学書との格闘があったのです。
ショーペンハウアーは「絶望の書」ではない
ここで、当編集室として強調したいことがあります。マスクを沈ませたのは、ショーペンハウアーが間違っていたからではありません。14歳が、独りで、導きなしに読んだからです。同じ本が、大人が良い順番で読めば、まったく違う顔を見せます。
ショーペンハウアーのペシミズムは、行き止まりではなく一枚の鏡です。「幸せになれないのはお前の努力不足だ」と急き立てる世間の声に対して、彼は「そもそも生とは満たされないようにできている」と言い切ります。これは絶望を煽る言葉ではなく、「だから満たされない自分を責めるのをやめていい」という、静かな赦しにもなりうる。欲望に振り回される仕組みを見抜けば、その空回りから少し降りられる。ショーペンハウアーはその先に、芸術に没頭する時間や、他者への同情(共苦)といった、意志の支配がゆるむ小さな出口を見ていました。
マスクは絶望を「宇宙のスケールに問いを広げる」という形で乗り越えました。私たちの多くにとっての出口は、もっと手前にあります。意志の正体を知り、幻想の期待を手放し、いま自分が本当に大切にできるものへ目を向け直す——ショーペンハウアーは、そのための最良の道具箱です。絶望に沈むためではなく、絶望を通り抜けるために読む。それが大人の読み方です。
大人が挫折せずに読むための順番
14歳のマスクの失敗は「いきなり主著を、独りで」でした。逆をやれば挫折しません。まずやさしい幸福論で入り、随筆で人となりに触れ、それから主著へ。価格・在庫はAmazonの商品ページでご確認ください。
まず1冊——絶望の哲学者の「幸福論」から
意外に思われるかもしれませんが、ショーペンハウアーは実践的な幸福論を書いています。『求めない練習』や『幸福について』は、「どうすれば少しでも楽に生きられるか」を具体的に説く、いちばんやさしい入口です。マスクが14歳で出会うべきだったのは、まずこちらでした。
次に——切れ味を味わう随筆
『読書について 他二篇』は、「他人の頭で考えることをやめよ」と説く辛口の随筆。短くて刺さり、ショーペンハウアーの毒と知性を最短で体感できます。人生の苦を正面から論じた『自殺について 他四篇』も、この哲学者の誠実さがよく表れた一冊です。
そして主著へ——マスクが14歳で挑んだ山
入口で足場を固めたら、いよいよマスクを打ちのめした『意志と表象としての世界』へ。盲目の意志という世界観を、今度はあなた自身の目で確かめてください。14歳の彼と違い、順番と地図を持って登れば、この主著は絶望ではなく発見の書になります。