『「正義」は決められるのか?』書評——トロッコ問題を、自分の問題にする
★★★★★4.5 / 5.0(編集室評価)
結論: 正義論の最初の一冊はこれです。倫理学でもっとも有名な思考実験「トロッコ問題」を、架空の裁判劇として読ませる入門書。5人を助けるために1人を犠牲にした被告を裁く法廷を追ううちに、功利主義と義務論という二大立場が「用語」ではなく「自分の迷い」として身体に入ります。サンデルの480頁に挑む前の、最良の肩慣らしです。
- 書名
- 「正義」は決められるのか? トロッコ問題で考える哲学入門
- 著者
- トーマス・カスカート
- 訳者
- 小川仁志(監訳)・高橋璃子(訳)
- 出版社
- かんき出版(2015年)
- 形式
- 単行本
- 難易度
- 入門 ★☆☆ ——約3時間
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どんな本か——3行で
暴走する路面電車の進路をそのままにすれば5人が死ぬ。切り替えれば、別の線路にいる1人が死ぬ——あなたはレバーを引くべきか。この「トロッコ問題」を、進路を切り替えて1人を死なせた人物が裁判にかけられる、という架空の法廷劇に仕立てた哲学入門です。検察側と弁護側、世論やメディアの声が入れ替わり立ち代わり登場し、読者は陪審員として、双方の言い分に揺さぶられ続けます。
核心——法廷という発明
トロッコ問題自体は、いまや入門書やネット記事で語り尽くされた感すらある有名な思考実験です。それでも本書を最初の一冊に推すのは、「法廷」という形式の発明ゆえです。教科書がトロッコ問題を扱うと、「功利主義ならこう、義務論ならこう」という整理で終わりがちです。本書では、その両方の立場が本気で勝ちに来る弁論として登場します。5人の命は1人の命より重いと訴える声にうなずいた数ページ後、人を数の計算に還元してよいのかという反対弁論にまたうなずいている——この「揺さぶられる経験」こそが倫理学の入口であり、講義形式のサンデルへ進む前の最高の準備運動になります。しかも一つの事件を追う物語なので、数時間で読み切れます。
読みどころ3点
1. 立場が「人」として出てくる
功利主義も義務論も、抽象的な学説ではなく、検察官や弁護人、証人といった具体的な語り手の口から出てきます。誰の言い分に説得されたかを覚えておくと、そのまま自分の倫理的傾向の自己診断になります。
2. 世論・メディアという第三の声
法廷の外では、世論調査やテレビのコメントが事件を単純化していきます。「みんなが正しいと言うこと」と「正しいこと」のずれという、現代のSNS社会にそのまま通じる主題が織り込まれています。
3. 哲学史への窓が開く
弁論の背後には、ベンサムやカントといった倫理学の古典が控えています。本書で「顔見知り」になった議論は、次にサンデルで再会したとき、一気に立体的になります。
注意点
二点。第一に、本書は一つの思考実験を深掘りする本であり、正義論の全体像を与える本ではありません。地図が欲しくなったら、それが『これからの「正義」の話をしよう』へ進む合図です。第二に、裁判は架空であり、実際の法制度の解説書ではありません。法廷はあくまで「議論を戦わせる舞台装置」として楽しんでください。
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