『絶滅への渇望』書評——バタイユから、加速主義の暗い核へ
★★★★☆4.5 / 5.0(編集室評価)
結論: ニック・ランド初期の主著にして、本棚で最も難解な一冊。ジョルジュ・バタイユを起点に、消尽・過剰・死へと向かう「渇望」を、圧倒的な密度と速度の文体で論じます。後年の加速主義や暗黒啓蒙の暗い核が、すでにここに胚胎している——その意味で、加速主義の源流を確かめたい読者には避けて通れない到達点です。ただし難易度は最上級。哲学・思想の読書に十分慣れ、他の4冊を読み終えた人のための一冊です。星は思想的達成への評価であり、読みやすさの評価ではありません。
- 書名
- 絶滅への渇望 ジョルジュ・バタイユと伝染性ニヒリズム
- 著者
- ニック・ランド/五井健太郎 訳
- 出版社
- 河出書房新社
- 種別
- 原典(初期の主著)
- 難易度
- 最上級 ★★★ ——本棚で最難。読書経験と準備の上で
単行本/価格・在庫はAmazonの商品ページでご確認ください
どんな本か——3行で
『絶滅への渇望』(The Thirst for Annihilation)は、1992年に公刊されたニック・ランド初期の主著です。副題に「ジョルジュ・バタイユと伝染性ニヒリズム」を掲げるとおり、20世紀フランスの思想家ジョルジュ・バタイユ——蕩尽・供犠・エロティシズムを論じた過剰の思想家——を導き手として、生命や資本や思考が、蓄積や保存ではなく消尽と死へと突き進む力に貫かれていることを論じます。学術書の体裁を取りながら、詩的で錯乱的とも言える異様な文体で書かれており、まだ「暗黒啓蒙」以前の、しかしその暗い核をすでに孕んだランドの原点です。
主張の要点——消尽と死への渇望
本書の中心にあるのは、バタイユから受け継いだ「消尽(消費・蕩尽)」の思想です。ふつう私たちは、経済も生命も「蓄える・保存する・成長する」ことを基本と考えます。しかしバタイユは、太陽が見返りなく光を注ぐように、生命の根底には余剰を蕩尽し、破壊へと向かう過剰なエネルギーがあると論じました。ランドはこれを徹底し、思考や主体そのものが、自己保存ではなく解体・絶滅へと引き寄せられる「渇望」に貫かれていると描き出します。「伝染性ニヒリズム」とは、この死へ向かう力が、個を越えて広がっていく様を指す言葉です。
ここで胚胎しているのが、後の加速主義の核です。資本主義やテクノロジーの暴走を、人間が制御すべき道具としてではなく、人間を超えて自己を加速させていく非人間的な過程として捉えるランドの視線は、すでに本書に萌している。加速主義がなぜ「人間の解放」からも「進歩への信頼」からも離れ、あれほど暗く非人間的な相貌を帯びるのか——その根が、この初期の主著にあります。
生命も思考も資本も、保存へではなく消尽へ、蓄積へではなく絶滅へと引き寄せられている——後の加速主義の暗い核は、この死への渇望のうちにすでに芽生えている。(本書の趣旨を、編集部が要約したもの)
——『絶滅への渇望』の骨格(編集部による大意)
読みどころ3点
1. 加速主義の「源流」を確かめられる
暗黒啓蒙の政治的テクストしか知らずにランドを語ると、その思想の根を見誤ります。本書を読むと、彼の非人間的な視線がバタイユの過剰の思想に発していることが分かり、加速主義の理解が根から立ち上がります。
2. バタイユ受容の達成として
バタイユの消尽・供犠の思想を、これほど極端に推し進めた読解は稀です。バタイユに関心のある読者にとっても、刺激的な一冊になります。
3. 五井健太郎による訳という達成
錯乱的とも評される難物を日本語に移すこと自体が大きな挑戦であり、五井健太郎の訳は、原文の速度と密度を日本語で辿れるよう配慮された、信頼できる道案内です。
挫折ポイントと読み方
挫折の原因はほぼ一つ、足場なしで、頭から一字一句を理解しようと通読することです。本書の文章は、論証というより詩的・錯乱的な運びで、主題(消尽・死・過剰)を渦を巻くように反復しながら深めていくため、一直線に「積み上がる」読み方をしようとすると、必ずどこかで失速します。おすすめは、まず「消尽と死への渇望」という背骨だけを頼りに、分からない箇所は印をつけて先へ進む一読目。細部は二読目以降に回します。そして——ここが大事ですが——いきなり本書から入らないこと。当サイトが概説(木澤佐登志)・講義録(フィッシャー)・政治的テクスト(暗黒の啓蒙書)を先に置くのは、ランドの思考の枠組みと文体への慣れさえあれば、この難物が急に一本の背骨を持って立ち上がるからです。なお本書は、思想として死や絶滅への「渇望」を論じるものであり、その暗さに引きずられず、あくまで思想の分析対象として距離を保って読むことをおすすめします。
単行本/価格・在庫はAmazonの商品ページでご確認ください