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『死とは何か さて死んだのは誰なのか』書評——問いのすべてが、ここに流れ込む
★★★★★4.6 / 5.0(編集室評価)
結論: 「死とは何か」——池田晶子が生涯かけて問い続けたこのテーマに、正面から向き合った思考の集大成です。副題「さて死んだのは誰なのか」が示すとおり、彼女の問いはさらに一歩踏み込みます。死ぬのはこの「私」なのか。それとも「私」とは、死をもってしても消えないものなのか。問いが問いを呼び、読者を思考のもっとも深いところへ導く、本棚の到達点。5冊で足場を固めてきた読者への、静かで力強い一冊です。
- 書名
- 死とは何か さて死んだのは誰なのか
- 著者
- 池田晶子/NPO法人わたくし、つまりNobody
- 出版社
- 毎日新聞社
- 種別
- 集大成(生と死をめぐる思索)
- 難易度
- 中級 ★★☆ ——文章は平明だが、問いは最も深いところまで及ぶ
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どんな本か——3行で
本書は、「死とは何か」という究極の問いをめぐる、池田晶子の思索の集大成です。彼女が主宰にかかわったNPO法人「わたくし、つまりNobody」の活動とも結びつき、生と死をめぐる問いが、これまでのどの著作よりも深く、まとまった形で展開されます。副題「さて死んだのは誰なのか」が示すのは、単に「死とは何か」を問うだけでなく、そこから「では、死ぬその主体である『私』とは何なのか」へと問いを折り返していく、彼女ならではの思考の運動です。これまでの5冊の問いが、すべてここに流れ込んできます。
核心——「死んだのは誰なのか」と問い返す
本書の白眉は、副題に込められた問いの折り返しにあります。「死とは何か」と問うとき、私たちは暗黙のうちに「私が死ぬ」ことを前提しています。だが池田晶子は、そこでもう一度立ち止まる。死んだのは、いったい誰なのか。死んで消えるという、その「私」とは、そもそも何だったのか——。「私」を当たり前の出発点にせず、死を通して逆にその「私」の正体を問い直す。この折り返しこそ、彼女の哲学の到達点です。
ここで問われているのは、慰めでも死後の世界の話でもありません。あくまで「考えること」の徹底です。死を怖がる「私」、死んで消えると思っている「私」——その「私」の輪郭を、ことばの力だけで最後まで問い詰めていく。答えが手渡されるわけではありません。けれど、この問いをくぐり抜けた読者は、生と死を前にした自分の立ち位置が、静かに、しかし決定的に変わっているのに気づくはずです。池田晶子が「考えることが生きることだ」と言い続けた、その言葉の重みが、ここでようやく腑に落ちます。
「死とは何か」と問う前に、問い返さねばならない。死んで消えるというその「私」とは、そもそも何なのか。私を当たり前の前提にするのをやめたとき、死の問いは全く違う相貌を見せる。(本書全体の趣旨を、編集部が要約したもの)
——『死とは何か さて死んだのは誰なのか』の中心的な問い(編集部による大意)
読みどころ3点
1. 問いのすべてが一つに結ばれる
「私とは何か」「死とは何か」「考えるとは何か」——これまでの著作で個別に問われてきた主題が、本書で一つの流れに結ばれます。集大成の名にふさわしい、まとまりと深さがあります。
2. 「私」を前提にしない徹底
死を語る本の多くが「私が死ぬ」を出発点にするのに対し、本書はその「私」自体を問いに付します。この一歩の深さが、他の死生観の本と一線を画します。
3. 最後まで、平明なことばで
これほど深い問いを扱いながら、使われるのは最後まで日常のことばです。難解な術語に頼らず、思考の力だけで最も深い場所へ降りていく——池田晶子の真骨頂が、ここに極まります。
留意点と読み方
文章は平明ですが、本書が問うのは「私の死」と「私とは何か」という、最も根源的で重いテーマです。分量もこれまでの入門書より厚く、腰を据えて読む一冊になります。だからこそ、いきなり本書から入るのは避け、『14歳からの哲学』から順に4冊で池田晶子の“考える姿勢”を十分に育ててから開くことを強くおすすめします。読み方としては、答えを得ようと急がず、彼女の問いの折り返しに一緒に付き合うこと。分からなさを抱えたまま本を閉じても構いません。その問いを持ち帰ることこそ、本書が読者に託すものです。
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