『デカルト 「われ思う」のは誰か』書評——読み終えた原典の景色を変える本
★★★★☆4.1 / 5.0(編集室評価)
結論: 6冊の最後に置きます。現象学の第一人者・斎藤慶典が『方法叙説』『省察』を一行ずつ読み直し、「コギトはデカルトの結論ではなく、通過点にすぎなかった」と示す一冊。原典を読み終えた人へのご褒美であり、読んでいない人には効かない本です。
- 書名
- デカルト 「われ思う」のは誰か
- 著者
- 斎藤慶典
- 出版社
- 講談社学術文庫(2022年。元版はNHK出版・2003年)
- 形式
- 原典読解型の哲学的エッセイ・全2章
- 難易度
- 上級 ★★★ ——頁数は少なめ・思考の密度は高い・約6時間
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どんな本か——3行で
現象学を専門とする慶應義塾大学の哲学者・斎藤慶典が、デカルトの二つの主著と正面から「対話」した本です。第1章「『われ思う』のは誰か」は夢と狂気の懐疑から「私」の正体を、第2章「『われ思う』に他者はいるか」は観念の起源と「無限」を扱います。解説書の体裁をした、一個の哲学書です。
核心——コギトの先にあったもの
教科書のデカルト像はこうです——方法的懐疑の果てに「われ思う、ゆえにわれあり」へ到達し、そこに近代的自我を打ち立てた。本書はこの像を、原典の読解によって静かに解体します。
デカルト自身のテキストを追うと、コギトは到達した安住の地ではありません。第三省察で「私」は、自分の内に自分では作りえない「無限」の観念を見出します。有限な「私」の思考の確実性は、それを超えるものとの関係の中でしか支えられていない——方法的懐疑が導き出したのは「近代的自我」ではなく、自我がそれだけでは完結しないという事実だった、というのが本書の読みです。デカルトを読み終えた人ほど、この転回に驚くはずです。
読みどころ3点
1. 夢と狂気——第一省察の再読
「狂人の懐疑」をデカルトがなぜ退け、夢の懐疑を採ったのか。フーコー=デリダ論争でも争われたこの箇所を、原文に即して驚くほど平明に解きほぐします。第一省察を読んだ人には、いちばんスリリングな章です。
2. 観念の起源と「無限」
第三省察の神の存在証明——独学最大の難所——を、「有限な私がなぜ無限の観念を持つのか」という一点に絞って読み直します。スコラ用語の煩雑さの奥にある問いの切実さが、ここで初めて体感できます。
3. 「対話」という方法
本書はデカルトの結論を要約せず、デカルトと一緒に考え、ときにデカルトに反問します。哲学書の読み方とはこういうことか、という手本として、内容と同じくらい形式に学ぶものがあります。
注意点——これは「入門書」ではない
はっきり書きます。最初の一冊には向きません。本書の面白さは「教科書的な像との落差」にあるので、その像がまだない人には落差が発生しません。『方法序説』と、できれば『省察』を読んでから開いてください。また、本書の読みは現象学者による一つの強い解釈です。標準的な見取り図は『デカルト入門』で先に持っておくと、本書の踏み込みがどこからが解釈なのかを見分けられます。
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