『物質と記憶』書評——〈イマージュ〉から心身問題を組み替える、中期の主著
★★★★★4.7 / 5.0(編集室評価)
結論: ベルクソン中期の主著であり、本棚の中心。世界を主観でも客観でもない無数の〈イマージュ〉として捉え直し、「記憶はどこにあるのか」という問いを軸に、身体と精神・物質と記憶の関係を根底から組み替えます。難解であることは隠しません。しかし、入門書・処女作・論集で足場を固めたうえで挑めば、一行ごとに確かな手応えのある、生涯読み返せる一冊です。星は思想的達成の高さと、杉山直樹による詳細な訳注の価値を含めた評価。ただし「読みやすさ」への評価ではありません。
- 書名
- 物質と記憶
- 著者
- アンリ・ベルクソン/杉山直樹 訳
- 出版社
- 講談社学術文庫
- 種別
- 主著(中期の代表作)
- 難易度
- 上級 ★★★ ——足場なしに挑むと挫折しやすい。準備の上で
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どんな本か——3行で
『物質と記憶』は、1896年に公刊されたベルクソン中期の主著で、副題に「身体と精神の関係についての試論」を持ちます。処女作で〈純粋持続〉を発見したベルクソンが、その視点を今度は心身問題——物質(身体・脳)と精神(意識・記憶)はどう関わるのか——という、哲学最大の難問に向けた一冊です。彼は、唯物論と観念論のどちらにも与さず、両者が共有する前提そのものを問い直すために、世界を〈イマージュ〉の総体として描き直すという大胆な出発点を取ります。20世紀の心の哲学に、いまなお参照される古典です。
主張の要点——イマージュと、記憶の場所
本書の出発点は、〈イマージュ〉という独特の概念です。ベルクソンは、「物それ自体」と「心のなかの表象」という二分法をいったん括弧に入れ、世界を、その手前にある無数のイマージュ——見え、働き、互いに作用し合う像——の総体として捉えます。私の身体もまた一つのイマージュですが、ただし特別なイマージュです。なぜなら身体は、受け取った刺激に対してどう行動するかを選べる「中心」だから。知覚とは、無関心に世界を写し取ることではなく、身体が可能な行動に応じて、周囲のイマージュから関心のある部分を切り取ることだ——これがベルクソンの知覚論の核です。
そのうえで本書の白眉は、記憶の分析です。ベルクソンは、記憶を脳のどこかに蓄えられた「物」とは考えません。彼は記憶を、身体に染みついた習慣的な記憶と、一度きりの出来事がそのまま保存される純粋な記憶とに区別し、後者は脳という物質のうちにではなく、持続そのもののうちに保たれる、と論じます。脳が損なわれて記憶が想い出せなくなるのは、記憶が脳に「しまわれていた」からではなく、脳が記憶を現在の行動へ呼び出す再生装置だから——この逆転こそ、本書が心身問題に持ち込んだ最大の転回です。物質と記憶は、持続の異なる緊張度として、地続きに捉え直されます。
記憶は脳のなかに物として蓄えられてはいない。脳は、過去を現在の行動へと呼び出す装置であり、記憶そのものは持続のうちに保たれている。(本書の中心的主張を、編集部が要約したもの)
——『物質と記憶』の骨格(編集部による大意)
読みどころ3点
1. 〈イマージュ〉という出発点の大胆さ
主観/客観の対立を組み替えるために、世界をイマージュの総体として描き直す第一章は、哲学史でも屈指の思考実験です。ここを越えると、視界が一変します。
2. 記憶論の射程
「記憶は脳に蓄えられているのではない」という主張は、当時の脳科学(失語症研究)と正面から向き合ったうえで導かれます。哲学と科学が緊張しながら切り結ぶ現場に立ち会えます。
3. 杉山直樹による訳と訳注
本書は複数の邦訳がありますが、講談社学術文庫の杉山直樹訳は、詳細な訳注と解説で難所を丁寧に導いてくれます。難物に挑むうえで、これ以上ない道案内です。
挫折ポイントと読み方
挫折の原因はほぼ一つ、足場なしで、第一章の〈イマージュ〉論を頭から一字一句理解しようとすることです。この出発点はきわめて抽象的で、しかも本書独特の用語法で書かれているため、準備なしに正面から挑むと、最初の数十ページで必ず失速します。おすすめは、まず「イマージュ/知覚は行動のための切り取り/記憶は脳に蓄えられない」という三つの背骨だけを頼りに、分からない箇所は印をつけて先へ進む一読目。細部は二読目以降、そして杉山訳の訳注に助けてもらいます。そして——ここが大事ですが——いきなり本書から入らないこと。当サイトが入門書(村山達也)・処女作(時間と自由)・論集(思考と動き)を先に置くのは、〈持続〉〈イマージュ〉〈直観〉という枠組みと、ベルクソン特有の論運びへの慣れさえあれば、この難物が急に一本の背骨を持って立ち上がるからです。
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